国際機関邦人職員インタビュー:高木善幸様 WIPO事務局長補

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今回のインタビューは、世界知的所有権機関(WIPO)にて、グローバル・インフラストラクチャー・セクターをリードして長年ご活躍していらっしゃる、高木善幸(TAKAGI, Yoshiyuki)事務局長補にお話を伺いました。

WIPOは、知的財産権(特許、商標、意匠、著作権など)のグローバルな保護を促進することにより、国際社会の創造的活動や技術革新の奨励、ひいては経済・文化的な発展を目指す国連の専門機関です。

中でも、高木事務局長補が率いるグローバル・インフラストラクチャー・セクターでは、知的財産権に関するグローバル・データベース(Patentscope[1]Global Brand Database[2]など)の構築や各国知財官庁を結ぶITインフラの構築、国際標準の策定など、知的財産に関する情報を世界的規模で共有するための取り組みを行っています。

高木さんは、1979年に日本特許庁に入庁後、1986年から1988年にアソシエート・オフィサーとしてWIPOに出向。外務省や在ジュネーヴ日本政府代表部での勤務を経て、1994年にWIPOに移籍され、2009年から現職に就かれています。

国際機関の要職で活躍される高木さんから、国際機関で働くことになった経緯、苦労秘話、仕事のやりがいなど、貴重なお話を伺いました。

(聞き手:長谷部旭陽、モンルワ幸希)


事務局長の「一本釣り」で国際機関入り

長谷部:高木さんは1994年に日本特許庁からWIPOに移籍されていますが、そのきっかけは何だったのでしょう。

高木:1986年からアソシエート・オフィサーとしてWIPO2年間勤務して以来、また良い機会があればWIPOで働いてみたい、とは思っておりました。

その後、1991年から1994年の間に特許庁からジュネーヴ日本政府代表部に出向していた際、当時佳境に差し掛かっていた商標条約の交渉に携わりました。WIPOでの会議で積極的に発言をしていたところ当時の事務局長(ハンガリー出身のアーパッド・ボクシュ氏からお誘いがあり、条約の修正案の作成に参加しまして、その後でWIPOに移籍しないかと誘われたのです。

特許庁には初め反対されましたが、最終的には代表部での任期終了後に、ディレクターとして移籍することで合意しました。その後面接などの手続きを経て、正式に採用されました。このようないわゆる「一本釣り」は、今は採用の透明性などの観点から行われていませんが、当時はそんなこともあったのです。


英語で苦労した思い出

長谷部:その後20年以上に渡りWIPOで働かれていますが、特に苦労されたことをお聞かせください。

高木:それは間違いなく英語です。一般的に日本人の国際機関職員は、帰国子女の方などは別として、皆さん英語で苦労されていますね。私自身も1986年にWIPOに来るまでは留学経験も無ければ海外旅行の経験さえほとんどありませんでしたから、その苦労は一際でした。

皆さんの励みになるかもしれませんので恥を忍んで申し上げると、当初はビジネス会話ですら難しいこともあったのです。例えば上司の「Please come to my office in ten minutes」という言葉を、すぐに来いという意味と思って急いで馳せ参じたところ、「十分後と言ったではないか」と言われすごすごと戻ったこともありました。

また、口頭で意思を伝えるだけであればブロークンな英語でも何とかなるでしょうが、特に困ったのはライティングです。例えば、初めての出張の際、プレゼンテーションのための原稿を英語圏出身の同僚に添削してもらったところ、固有名詞以外ほとんど跡形も無く修正され、真っ赤になって戻ってきたこともありました。

こうしたことをきっかけにして、自分なりに英語の訓練の為の工夫をするようになりました。 


高木さんの英語訓練方法

長谷部:どのような工夫をされたのでしょうか?

高木:所内では他の職員が書いたレターが回覧されてきますよね。その中でモデルになりそうなものをコピーしてワープロで打ちなおし、さらに「一般的な社交辞令」、「断りの手紙」、「クレームを訴える手紙」などに分別して、自分自身の為のデータベースを作りました。最終的には二千ほどのレターをタイプしました。また、WIPOの会議のレポートなどもコピーして打ち直し、分析してパターン別に分けてデータベース化しました。

こうしてパターン別に数多くの英文に触れてゆくと、所属機関特有の文章のスタイルというものが分かってきて、こういう時にはこういった表現を使えば良い、というのが自然に出てくるようになります。

しかし、そんな努力をしても最初の2年間くらいはなかなか成果が出ませんでした。例えば会議のテープを聴きながら徹夜で作成した会議議事録を提出すると、2割ほどしか元の文書が残っていない、という経験もしました。慣れるにつれて少しずつ採用される文章の割合は上がっていきましたが、時間はかかりましたね。やはり英語のドラフティングスキルは日本人一般に不足しているように思います。

もっとも、英語圏出身の同僚であってもWIPOに来てすぐにレポートを書くと大きく修正されるようですので、英語の上達以外にも、その機関特有の言い回しになれることも大事なのだと思います。

長谷部:事務局長補として働かれる今も英語に関する苦労があるのでしょうか。

今でもまだ苦労していますよ。英文のパターンは分かってきましたが、今度はその力を維持する為の工夫をしています。正しい英語を書くためには、きちんとした英文に基づく豊富なボキャブラリーが頭の中に蓄積されていなければなりません。仕事で読むのにプラスして、毎週最低でも百ページくらいの英語の文章に触れていないと、それが維持できないのです。私は毎日各種の英字新聞を読み、またThe Economistfrom cover to coverで読む習慣を作っています。

また、読むだけでなく書く時間も大切です。私自身、定期的に英語でブログを書くことにしています。英語を書く訓練をされる方にはお勧めしたい方法ですね。

WIPOで働く人の8割くらいは英語のネイティブスピーカーではありませんし、自分がネイティブの方と同じだけの英語を使いこなせるようになる必要も無いかもしれませんが、それでもこれくらいの努力をしないと、必要な力は維持できません。

また、国際機関で働く上では、固有名詞にまで気を配ってボキャブラリーを蓄えてゆく必要があります。外国の会議に出席して、その国の首相の名前も知らないようでは失礼ですから。日本語の新聞だけを読んでいると、例えば中国の主席の名前や地名の中国語音を知らない、などということも起こります。英字新聞などで英語に触れて、それを書いてみる時間を作ることはこうした点からも大切といえるでしょう。


国際ビジネスランチで役立つトピックスとは?

長谷部:会話をする際にも、読み書きとはまた違った力が求められるかと思います。

高木:こうして蓄えた知識を会話の中で使いこなす訓練の為には、色々な国の人と食事を取ることも効果的です。国際機関のカフェテリアで日本人職員が日本人同士で集まってランチを食べているのを見かけますが、もったいないことだと思います。ビジネスの面でも、個人の経験としても、色々な国の人と交流を持つことは非常に有用です。

私はこうした食事の際には、主に五つのトピックスを使うことにしています。

まず、食べ物の話題です。ワインやその国の名物料理には、皆さん興味をお持ちですから。日本食についても説明できるようにしておくと良いですね。

次に、スポーツ。ヨーロッパではサッカー。個人的にも好きなので、どの国のどのチームのどの選手が活躍した、といった話題をいつも持っています。WIPOにも熱狂的なファンが何十人もいます。クリケット、ラグビーなども人気がありますね。先日ラグビー日本代表が歴史的勝利を飾った際には同僚から沢山のお祝いメールをもらいました。

三つ目は、旅行の話題です。どこにいってどのような経験をしたという話は、たいてい盛り上がるものです。

四つ目は、少しデリケートな場合もありますが、政治です。食べ物や旅行の話は、一度や二度話せば尽きてしまいますが、政治の話は相手の人となりを知りより深い付き合いをするのに役立ちます。

そして最後は、カルチャーに関わる話題です。例えば、なぜあなたの国は移民に対してこんなに閉鎖的なのか、なぜ人種に関する問題を抱えているのか、というような問題を議論するのです。もちろん、日本について聞かれたときのために、自分の意見を考えておく必要もありますね。

こうした会話を通じて深い関係を築いていくと、新しい知見を得る機会も多くなります。友人とお互いに最近読んだ本を薦めあうこともありますね。


デジタルコンテンツ社会を読み解くお勧め本

モンルワ:もしよろしければ、例えばどのような本を読まれているのか、ご紹介いただけないでしょうか。

高木:もう20年も前の本ですが、今のWIPO事務局長[3]からいただいた、ニコラス・ネグロポンテ著のBeing Digital1996年)が印象に残っています。Being Digitalというタイトルは、原子で出来ているこの世界が、これからはビットで成り立つようになる、というメッセージです。20年後の今、それがまさに起こっています。

そして数年前、別の本をお貸しすることで、事務局長へのお返しをすることができました。それが、ジャロン・ラニアー著のYou Are Not a Gadget2010年)です。4月に開催されるWIPO Conference of the Global Digital Content Market[4]のキーノート・スピーカーが、この著者です。

彼は音楽家であり、また未来を描くことの出来るヴィジョニストでもあります。音楽のマッシュアップも含め様々なものをインターネットでシェアする社会は、情報の普及という観点からは好ましいかもしれないが、人類の創造性の堕落につながりかねないと警鐘を鳴らしました。インターネット社会は人間をただのガジェットにしてしまう、と訴えたのです。

また、この観点から、インターネットのビジネスモデルとして、無料ではなくきちんと課金をして、クリエーターに経済的な利益が還元されるような仕組みを推奨しています。


国際機関を目指す人へ

長谷部:あっという間に時間が来てしまいました。最後に、国際機関を目指す方々にメッセージを頂けますでしょうか。

高木:私は、国際機関の醍醐味は、仕事を通じて高い満足度が得られることだと思います。毎朝目が覚めたとき、「今日も世界のために役立てる」と感じる。お金のためだけではなく世界の人々のために働いている、という気持ちです。

もちろん、各国政府で働いている人も民間企業で働いている人も、自分の国や顧客へのサービスを通じてそう感じられるかもしれません。しかし、国際機関で働くことにより、より強く、より直接的にその満足感を得ることができます。

加盟国の方々から、あなた方の仕事のおかげで私たちの国がこんなによくなった、という声を聞くたびに、素晴らしい感動を味わうことが出来ます。お金では買うことの出来ない、そうした感動を味わいたい方に是非、国際機関を目指して欲しいですね。

長谷部・モンルワ:お忙しい中、貴重なお話を聞かせていただき、ありがとうございました。


(インタビュー後WIPO執務室にて、各国からの感謝の印の記念品と共に。)


















聞き手プロフィール:

長谷部旭陽(HASEBE, Asahi) WIPOジュネーブ本部 PCT情報システム部 Analyst-Programmer。日本のIT企業勤務を経て現職。

モンルワ幸希(MONROIG, Miyuki  WIPOジュネーヴ本部 著作権法課 アソシエート・オフィサー。日本の公的研究機関での知的財産マネジメント業務、フランスの法律事務所での弁理士業務などを経て現職。




[1]  WIPO が無償で提供する特許情報検索サービス。公開済みの PCT 国際出願の情報に加え、加盟各国・機関の広域及び国内特許情報を検索可能。https://patentscope.wipo.int/search/en/search.jsf 
[2] WIPOが無償で提供する商標情報検索サービス。マドリッド制度を通じた国際商標登録、リスボン協定に基づく原産地表示、パリ条約6条の3に基づく紋章等に加え、各国における商標登録の情報も検索可能。http://www.wipo.int/branddb/en/ 
[3] 20163月現在のWIPO事務局長はオーストラリア出身のフランシス・ガリ氏。
[4] 420日から22日にWIPOジュネーヴ本部にて開催される。プログラム、参加申込み(無料)はこちらから。

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